祝福2世は総崩れするだろうか

前回記事はいろいろ書きすぎて焦点がぼやけてしまったので、一つ抜粋して説明します。
引用開始
意識高い系は「良いこと言ってるなあ」と感心する記事も多いのですが、「ではどうすれば」に具体性がないために、読者が食口村のコミュニティ(それは極めて具体的なので)から脱するには至らないのです。
引用終了

これは櫻井正上氏の声明文が出たとき記事にした、「祝福2世総崩れの懸念」のことを意味しています。
正上氏や本山兄弟が祝福2世に与える影響を考えれば、年内に2世がごっそりFPA派に流れる事態も想定するべきではと書きました。

しかし正上氏自身がその後の手紙で述べておられるように、現実はそれほど単純ではありません。
祝福2世にはそれぞれのコミュニティ(人間関係)というものがあり、ネットで声明文を読んで影響を受けたとしても、実際に行動に移す(FPA派に移籍)ことは別問題だからです。

FPA派の「ではどうすれば」が具体性に欠ければ欠ける程、「ヒョン(オッパ)の気持ちは良く分かるけど、私はいまある環境でお母様を支えて行こう」と変化をもたらすことはないのでしょう。
これはあたかも映画や小説で涙を流して感動したとしても、現実世界に戻ってくれば足元の人生を生きなければならないのと似ています。

反対派の対策修練会で、「イメージよりも実体が強い」と説明されたことがありました。
反対派はアボジの結婚問題や孝進様の件で信仰を揺さぶってくるがそれはイメージに過ぎない、しかし信仰生活で真に実りのある実体関係が築けていれば、容易く影響されることはないのです・・・

気が付くと、「分派侍仁」も「統一ブログ村をなくす会」も、FPA派を印象(イメージ)操作で貶めようと躍起になっています。
FPAの当事者からすれば「は?」と肩をすくめるほど根拠のないデマであったとしても、印象操作を甘く見てはいけません。
なぜなら教会に残る2世にとってはFPA派の情報もまたイメージに過ぎないのであり、イメージ対イメージなら互角、普段所属するコミュニティの実体が加わると形成は逆転するからです。

ではサマリヤ人はどちらの味方なのか?
私はブログでずっと訴えてきた、三つの大罪を悔い改めて再出発することを目指します。
祝福2世が総崩れして本部が重い腰を挙げるというのであれば、そういう事態もありかと思います。
それは分派侍氏が揶揄するような「家庭連合を滅ぼしたい」からではなく、そうでもしないと変われない「末期症状」にあるからです。
逆説的ですが2世が総崩れして家庭連合が真に悔い改めるとき、私は残って再建を助ける道を選ぶかもしれません。

その点でFPA派の主張する、「UCは今後関係ない」は極めて無責任な言説に聞こえます。
「来ない人は自己責任」も間違っています。それでは本当に意識の高い人しか来ません。
やるのならモーセの奇蹟のように、徹底的にやって頂きたいのです。
FPA派は家庭連合の悪い文化、「独善」だけは相続しないで頂きたいと願います。


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ブログ村のマーケティング戦略

12月2日、韓国ソウルでFPAの創設大会が開催されるそうです。
FPA(家庭平和協会)の創設大会

前々から不思議だったのがパシセラ氏の「ツンデレ」、来てほしいのかほしくないのか分からない点にあります。
英語サイトで公開されたのが10月27日ですから、本当に来てほしいならもっと早くから紹介すれば良いのではないでしょうか。

FPA派のブロガーに苦言ですが、マーケティングではサンクチュアリ派の方がはるかに優れていると感じます。
サンクチュアリ教会は移籍した後の信仰生活(サイバー教会など)、献金の額や透明性、全てが具体的で分かりやすいです。
カルト化した儀式はともかく、移籍しても気心の知れた食口のコミュニティがあるという安心感があります。

対してFPA派は東京に櫻井家庭教会があるだけで、地方で関心があってもつながる手段が多くありません。
ネットで情報収集できるのは「意識高い系」のブログだけで、連絡したら逆に「今更?」と門前払いされそうです。
意識高い系は「良いこと言ってるなあ」と感心する記事も多いのですが、「ではどうすれば」に具体性がないために、読者が食口村のコミュニティ(それは極めて具体的なので)から脱するには至らないのです。

「統一ブログ村をなくす会」や「分派侍」のような病的ブログのアクセスが伸びる理由は、そういう分かりにくさや閉鎖性に対する、読者のささやかな抗議なのかもしれません。

「3つに分裂した統一家」は確定事項となりつつあります。
宗教改革から500年、キリスト教と同じ轍を踏むことになるのでしょう。

ずっと「統一を諦めない派」といて論陣を張ってきた立場として、私なりのマーケティング戦略がありました。
売る商品は、「組織に依存せずに家庭教会で自立する信仰」です。
想定顧客は、「混乱の中で動揺する2世やその親など」です。
コメントや拍手コメント(開示されませんがちゃんと読んでます)を拝見する限り、なんとか回っている実感があります。

私と似たような商品を扱うブロガーさんがいて、以前紹介した幸せな二世家庭になる為に。です。
彼女曰く、「どこの派に属していようが二世の祝福は大切な問題」なのだそうで、その姿勢と努力には頭が下がります。

コメント欄でも何度も指摘されてきましたが、私が本部の方針にこれだけ反対しながら脱会しないのは理由がありました。
それでも日本家庭連合が裁判を取り下げて、和解する道があるのではないかと期待したからです。
「家庭礼拝で自立する、ブログで意思表示する」は私なりのささやかな抵抗でしたが、残念ながらこちらの意図は殆ど伝わらなかったと思います。

今後情勢の変化に従って家庭連合を脱会するかもしれませんし、しないかもしれません。
しかしそのことでブログの内容が変化することは、ないと思います。
なぜなら私には私なりの氏族メシヤのタイムテーブルがあって、家庭連合が消滅したとしてもその予定は変わらないからです。

一部の意識高い系ブログや病的ブログに共通するのは、全てのブロガーが何らかの派閥の代弁者であるという偏見と決め付けです。
派閥争いなど望まない人の方が多いのであり、「ブログ村の個人攻撃をなくす会」を立ち上げたいくらいです。


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成さずば苦労も無に等しい

櫻井正上氏にも注目が集まっていますが、正実氏も定期的にブログを更新されています。
印象に残った内容を引用します。
5.お父様の指示に無条件従うのが正しい信仰?

引用開始
櫻井節子先生の証
ある時、体に障害のある姉妹がいたのですが、とても信仰のいい姉妹でした。障害がある場合は一方的に組むのではなく、相手に許可を得るようになっていたので相手の意志を電話で聞くのですが、この姉妹の相手がどうしても身体に障害のある女性は嫌だというのです。仕方がないのでもう一度マッチングが出来るように、候補者がマッチングを待っている部屋に入って、再度マッチングされるのを待つのですが、お父様は気づかれて、「この姉妹はさっき見たよ!」と言われるのです。あんな何千何万のなかで、ちゃんと記憶していらっしゃいました。「はい。しかし嫌だと言ったのは相手です」とお答えしたのですが、お父様は「一端組んでだめになった者は、先生、二度と組まない!」とこう言われるのです。しかしこの女性には何の落ち度もなく、相手の男性が嫌だということでしたので、そこでは私は戦わざるを得ないのです。「この姉妹は問題ありません。相手の男性がこうだったのです。」と申し上げるのですが、「うるさい!女は横槍からよくいろんなことを言う!」とかおっしゃるんですけれども、その姉妹は既に35歳か36歳になっていました。もしこの機会が過ぎてしまうなら祝福がいつになるか分からない、永遠に赤ちゃんを産むことも出来なくなるかもしれない、そういう状況でこの姉妹を弁護し、擁護できるのは私しかいなかったのです。「彼女の問題ではありません。彼女はこうでこうでこういう良いところを持っているのです」と、食い下がるとお父様が、「ああ、そう?じゃあ、もう一度書類を持って来なさい」と言われるのです。この姉妹が後でもの凄く喜んで感謝してましたけれども、そういう場合だってあるのです。原則は原則であります。しかし誰かが擁護したり弁護したりする必要がある場合はあったのです。
引用終了

いまの家庭連合に果たして、ここまで私心なく食口を守ってくれる責任者がいるでしょうか。
「我こそがお母様に記憶されたい」と保身丸出しの人ばかりで、息が詰まるようです。

神山先生のボート会議の動画が公開され、メシヤから否定されたこの人はもうダメだと批判する方がいました。
しかし私の眼には、あれだけ否定されても顯進様を擁護しようとされるなんて、私心がないからこそできるのだと感動しました。

これは何も責任者だけの問題ではありません。
反社会集団だと後ろ指を刺されようが、9割の祝福2世から愛想をつかされようが、「お父様(お母様)の指示に従っているのだから何の問題もない」と嘯く人がいます。
しかし本当に大切なのは指示そのものではなく、その先にある「み旨成就」だったはずです。

日本食口の信仰観が、「お父様(お母様)の指示に従って喜ばれた」と近視眼的な自己満足に終始するようになりました。
たとえそれが帳尻合わせの水増し報告であろうと、「言われた通りやりました、報告を聞いてお父様(お母様)は喜ばれました」というその場限りの既成事実だけが重要なのです。
だから人を判断するときも、「この人はお父様(お母様)の指示に従っている、背いている」という基準でしか見ることができません。

前回記事で、孫のいるような先輩家庭に対して苦言を申し立てました。
「自分さえ良ければそれで良いのですか」が言い過ぎだとしても、人生を掛けた運動が結果的に何を達成したのかについて、眼を背けないで頂きたいのです。

一人ひとりの苦労と精誠には価値があったのだとしても、成就しなければ無に等しいのではないでしょうか。


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私は怒っている

前回記事で、以下のような文章を書きました。
引用開始
「未来のことは優秀な2世が何とかしてくれる、いまはお母様だけを見つめることが大切・・・」
それは問題を先送りして、権威を笠に着ているだけです。
引用終了

「」の中身は、特定の誰かが言った言葉ではありません。
日本食口の間で伝承的に蔓延している、思考の癖のようなものです。
私がカープの学生だった頃、教会で位置のある方が講和をされたことがありました。

「・・・私たちのしてることは蕩減の穴埋めのようなもので、傍から見たら何の意味もない。では希望はどこにあるか?それはここにいる学生や青年、祝福2世たちにあるのです・・・」

ある程度立場が上になると、教会組織の欺瞞やナンセンスは嫌でも眼に入ってきます。
下らないことは百も承知だ、だからこそ蕩減になるのだ。そして遠くない将来、蕩減が晴れて収穫する際には、全ての苦労が喜びと変わるのだ・・・

最近では祝福2世が国会議員に当選したとか、プロ野球選手になったなどの証も聞くようになったので、この考えはあながち間違いではなかったのかもしれません。
小学生向けの機関紙では、社会で活躍する2世が紹介されています。
灘高から東大理III(医学部)に合格した韓日の2世まで、いるようです。

一般に祝福2世が成功する場合、親や周囲が早くからその才能に気付いて、手厚い支援体制があることが必要条件です。
公職者も高位になるとご子息の多くは、早い段階から私立で英才教育を受けると聞きます。
スポーツにしても芸術にしても、夢を叶えるにはお金が掛かるのが常識です。

ところが地方教会では、祝福家庭の貧困が着実に連鎖しています。
全ての財を惜しみなく捧げれば、ご褒美のように後孫が発展すると信じてきたのですが、実際に起きているのは真逆です。

優秀で成功した2世とは、「教育投資を怠らなかった」結果でしかありません。
教育にかけるお金を献金すれば、しわ寄せを受けるのは当然2世です。

所属基台ではこんな正論を繰り返し訴えてきましたが、「あなたは自分のことしか考えていない、お母様の心情が分かってないからだ」と一蹴されて終わりでした。
我が子の教育に投資すると、「神様が分かっていない自己中心」と批判されるのです。

これまで教育投資は、気付いた人だけが実践してきました。
それは当たり前のことなのですが、地方教会で実践するにはある程度の割り切りと信念が必要だったのです。
念のため付け加えますが、教育投資とは教会の中だけで通用する欺瞞を教え込むことではなく、社会で立派に活躍できる実力を養うことです。
だから2世の成功は、教会組織の手柄なのでは決してありません。

本音と建て前の使い分けができない純粋な食口ほど、犠牲となってきました。
私はこの現実が放置されてきたことに対して、憤りを覚えます。

孫までいらっしゃるような先輩家庭の皆さんに、あえて言います。
あなたは自分さえ良ければ、それで良いのですか?と。


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再臨運動とは何だったのか

最近自分が死ぬ夢を良く見るのですが、再生とか再出発を意味するようです。
若き日に神を覚えこの道を歩んで、人生の折り返し点を過ぎました。
内部抗争の盤面も終局が見えるようになり、私なりに総括をはじめているところです。

歴史の大局から見れば、私たちはイエス・キリストの再臨運動に参加していたことになります。
再臨主を自称した北朝鮮出身の男は、イエス再臨を待ち望むクリスチャンから最後まで拒絶されました。
その教えに感銘を受けた無学な青年たちが統一運動を担うことになりますが、世界平和はいまも実現していません。

再臨運動の最大の業績は、イエス様の使命継承者が結婚して、血統を残した点にあります。
以前ダ・ビンチ・コードという小説がヒットし、マグダラのマリヤがイエス様の実子を妊娠していたというエピソードがありました。
イエス様の子孫というものが現存するのであれば、ローマ教皇など比較にならない程の権威を持ち、世界的な影響力を持つことになるでしょう。

フィクションでしかなかった「神の血統」のインパクトは、目下教団の信者しか受け入れていません。
世界は政治・経済・宗教どの角度から見ても過渡期にあり、精神的なリーダーシップがこれ以上求められる時代はないでしょう。
再臨運動は創始者の死後迷走し、神の血統の正当性と道徳的権威を示すことができずにいます。

これはあたかもイエス様の十字架によって、創始者の理想も運動の目的も見失われた状況と良く似ています。
一番近くで侍っていた12弟子たちが、「神の国運動とは何だったのか」まるで理解していなかったのですから。

初臨のときと比べてマシなのは、創始者の理想が文書化して残っていることにあり、また血統が断絶することなくいまも存続する点にあります。
教会組織や資産規模が云々というのは、些末な問題に過ぎません。
教会組織は運動を担う器であって、再臨の目的ではないからです。

家庭連合ではしばしば「組織の論理」という言葉が聞かれますが、私は全く興味がありません。
組織の論理は神の血統を貶めて、資産保持に最大の価値を置きます。
そこには道徳的権威は存在せず、欺瞞的な権威主義だけが蔓延っています。

統班撃破、海洋摂理、アブラハム宗教の一致・・・数多くの課題が未完のまま残されています。
「未来のことは優秀な2世が何とかしてくれる、いまはお母様だけを見つめることが大切・・・」
それは問題を先送りして、権威を笠に着ているだけです。

優秀な2世が現れるまで、あなたは何もしないつもりでしょうか。9割の去っていく2世は、「優秀ではない」から必要ないとでも?
オモニだけを見つめるあなたはそれで良くとも、聖和される際に失望させることになるとは考えないのでしょうか。

祝福家庭が人目を気にしたり忖度することなく、真実と欺瞞を見分けられるようになってほしいのです。


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ロイヤルファミリーの資産管理

パナマ文書に引き続き暴露された「パラダイス文書」が話題です。
租税回避は超富裕層の税逃れのことで、道義的には感心する行いではありません。
日本では漫画家の鳥山明氏や鳩山元首相の名前が挙がっていますが、海外ではイギリスのエリザベス女王の個人資産1000万ポンド(15億円)に、批判の矛先が向かっています。
「パラダイス文書」 明らかになった超富裕層の租税回避の秘密

引用開始
資金は、エリザベス女王の個人資産5億ポンドの投資を管理するランカスター公領によって、ケイマン諸島とバミューダ諸島のファンドに投資されている。
ランカスター公領は、ファンドの投資方針には関わっておらず、女王も個別の投資について把握していたとはみられないと説明した。
ランカスター公領は過去に、女王は自分の資産について「強い関心」があり、その女王の「評判に悪影響を及ぼす可能性がある行為や手抜かり(omission)について常に配慮している」と説明していた。
引用終了

2013年の基元節で、「天一国資産リスト」がオモニに奉献されました。
オモニが天一国の資産に「強い関心」があっても不思議ではありません。
王の王として降臨された再臨主なのですから、英国女王並みに豊かにして差し上げたいという忠誠心があっても良いでしょう。
しかしそれはどこまでも、女王の「評判に悪影響を及ぼさない範囲で」やるべきです。

エリザベス女王が批判されるのは、資金の一部が貧困層を搾取する企業などに流れていた点、今回の暴露は氷山の一角に過ぎないかもしれない点です。
豊かになること自体は罪ではありませんが、莫大な資産保持が目的化すると、周辺で何が起きているのか把握困難となります。

家庭連合の場合、貧困の信者に自己破産させてまで資金供与を強制し、挙句自殺まで出ているというのに、そのお金で自家用ジェットに乗り回す(租税回避の一手段)のは、道義的に許されません。
真の父母が親で信者が子どもだというなら、どんな親かと呆れるのです。

エリザベス女王同様、アボジもオモニも資金管理の詳細など把握するはずもありません。
ランカスター公領に該当する家庭連合大本営において、資産保持が目的化している現実を直視するべきです。
目の前の人権蹂躙を「見て見ぬ振り」をするのを辞めて、女王の評判を貶めないようにしたいものです。

追記
マグダラのマリヤのように、惜しみなく主に捧げる信仰が美しいと教育されましたが、真の家庭とイエス様の公生涯を重ねることは無意味です。
日本食口は、「超富裕層の常識」を知っておくのが良いでしょう。
お金を隠して税金を減らすには? 「簡単」な5段階の方法


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徳野会長には期待しない

ねこどしさんのブログでコメントしました。
徳野会長の講話<真のお母様に関して>

引用開始
情進様と妍進様の祝福が終わった直後でした。
その時には私達日本の責任者が3人いたんですけれども、私達3人に何かお母様が語るという雰囲気ではなくて、独り言の様に、ちょっとこう斜め上を見られて「ハアーッ、情進と妍進の祝福が終わった」「ハーッ」とこう、溜息をつかれて「お父様が私に残した多くの宿題の一つが片付いた」と、こういう表現をされました。
私はそこに、お母様が抱えておられる十字架、重み、そしてまた、お父様が成し遂げきれなかった多くの宿題、あるいは遺言、これを一つ一つ成し遂げるために必死になって頑張っておられるお母様の姿を垣間見た様な、そういう印象を持ちました。
で、そうおっしゃった後に「アボジが私に残した多くの宿題の1つが片付いた」と、ご自分で独り言におっしゃった瞬間、私達が目の前にいて、「あ、この者たちの前で言ってはいけない。」という様な雰囲気で、ふっと我に返られたような様子を見させていただいて、お母様はそういう事情圏の中に立っておられるんだなあ、という事を私は率直に感じました。
引用終了

どう感じるかは人それぞれですけど、私はこの箇所は素直に感動しました。
生前アボジが情進様と妍進様の恋愛結婚(?)をお認めにならなかったことを含むと、とても深い内容だと感じます。

私は徳野会長が語られるように、いまもオモニがアボジを愛しておられると信じています。
また霊界に旅立つ日、一言アボジのお褒めの言葉がほしいという言葉にも真実を感じます。

良くも悪くも、徳野会長は聖和前後のオモニに近く侍って来られた方です。
それだけに、「お母様から見ると、心が痛いなんてものではない」分派問題に対して、なぜここまで及び腰であったか理解に苦しみます。

「お母様の心が痛い」とおっしゃるのなら、その痛みを取り除くために全力を尽くすのが筋ではないでしょうか。
オモニは「すべての裁判をやめるように」と指示を出されたのだから、「なぜ裁判を続けるか」の説明をして頂かないとなりません。
1万人大会を47都道府県でやり遂げたとしても、実の子や孫と会えない辛さが癒えるのではありません。

今年になって徳野会長はおっしゃいました。
「勝利圏が揃ったから、お母様がいつ聖和されても全てが旨く行く」と。
法統の整備が完了して、裁判にも勝てる目途が立ち、最高委員会で未来永劫統治できることが決定したという意味ではないでしょうか。

引用開始
私はある意味では、分派の問題の恐ろしさが解るからです。
だって考えてみてください。あの、お父様に50数年も侍ったはずの郭錠煥先生が、残念ながらお父様から離れて顯進様の方に行ってしまった。
この名古屋で最も頑張って名古屋の最も名誉ある立場にあったはずの神山先生もそうなってしまった。
日本の歴史を作ったといっても過言じゃない櫻井夫人までそうなってしまった。
・・・
人間は愛され、用いられている時は、もう下手をすると有頂天になっているし、愛のど真ん中にいますから、愛の減少感からサタンが入ってくることは、正直言ってあまりない。
だから私も、正直言って、会長を降りた時に間違いなく愛の減少感を感ずる時が、もう100%あります。
その時多分、分派からお誘いが来ると思いますよ。(笑い)
引用終了

私にはこの箇所が、何のことをおっしゃってるのか全然理解できません。
玉座の右に座って、王から寵愛を受けることが信仰生活の目的ではないからです。

「草創期の愛あふれる教会」は、日本にも確かに存在した時期がありました。
それを記憶される先輩家庭は、愛の減少感で離れるような方ではありません。

信仰が長くなると、「愛のど真ん中」にある人が天国人ではないことを学びます。
徳野会長は天国人となるために、「統一教会の被害者」と呼ばれる人たちと向き合うことをお勧めします。


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原理講論から神霊を受ける読み方

聖書を新しくして最初の作業が、原理講論からの引用箇所に線を引くことです。
3色刷りが出版されてからは、要点だけを如何に早く読むかに重点が置かれるようになりました。
しかし聖書引用には歴史的な文脈があるため、無視して要点だけ搔い摘むと、ただの丸暗記になってしまいます。

聖書を引用しながら訓読すると、神霊を受ける度合いが変わります。
膨大な聖書歴史が有機的につながってくるのであり、復帰摂理の所産として「わたし」が何をすべきか、位置付けすることができるからです。

今回購入した聖書は「引照付き」と言って、文章中に出現する聖書の他の引用箇所が、明示されています。
例えば、三大試練でイエス様がサタンに反論した場面はこうです。
『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。(マタイ4章4)
ここで「書いてある」とは、申命記8章3節のことであり、このような旧約・新約聖書からの引照が全て記載されています。

新約聖書が編纂される際、旧約聖書との整合性を生命視しました。
イエス・キリストが何者であろうと、アブラハム(エレミヤ)の契約を完成する人物でなければ、価値はないという考えです。
結果的に第二イザヤの預言ばかりが強調され、「イエスは十字架につくために来られた」と間違った神学が浸透したのは、残念なことでした。
「本来の計画」という視点で読めば、イエス様を迎えるべきは異邦人ではなく、アブラハム12部族(元のオリーブ)だったと読み取ることができます。

真の父母の業績が如何ほどであろうと、その目指すところは成約、つまりアブラハムの契約が成就する点にあるべきです。
統一運動はユダヤ教・キリスト教・統一教会の三部作(trilogy)であり、私はその連続性にこそ価値を見出します
正上氏が述べておられたように、真の父母の「一代記」を信じ崇める宗教であれば、私はとうの昔に離教してました。

「お父様はこう語られた」「お母様はこう語られている」と創始者夫婦の「自己完結理論」を喧々囂々(けんけんごうごう)と論じ、挙句分裂するしかない滑稽さを、自覚することはできないものでしょうか。


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新共同訳聖書と新しい目標

25年間使ってきた聖書を買い換えました。
聖書 旧約続編つき - 新共同訳

カープでは伝道対象者が入教を決意したときにお祝いとして、原理講論と聖書をプレゼントします。
それぞれの布製カバーを、霊の親が手造りで作成するという域な伝統もあります。
私のカバー付き講論と聖書は手垢で灰色になるほど読み込み、線や書き込みもあちこちにあります。

学生の頃、大学の近くにキリスト教書籍を扱う書店がありました。
私は基準が下がってどうしようもないときなど、クリスチャン向けの書籍を眺める習慣がありました。
ある日その書店で、初老の紳士が話しかけてくれたことがありました。
悪名高き原理研の学生だということは口が裂けても言えないので、聖書に興味があるのだと言い訳すると、親切にいろいろと説明して下さったのです。

紳士は困ったことがあればいつでも連絡しなさいと名刺を渡して下さり、肩書にはある大企業の役員名がありました。
私はそのときまで、自分が使っていた聖書が口語訳(プロテスタント訳)だということすら知りませんでした。
紳士は新共同訳を勧めて下さったのですが、1988年に完成した共同訳をカープで使用してなかったのは、ある意味当然です。

新共同訳にはカトリックの意向も反映されているので、旧約聖書の続編など口語訳にはない文書が掲載されています。
当時の私は、プロテスタント=優、カトリック=劣という無知な偏見に支配されており、新共同訳に眼を通すことはありませんでした。

しかしその後エルサレムとバチカンを巡礼することで、漠然と抱いていたカトリックに対する偏見が払拭されます。
「2000年間神様の面倒を見てきた」のは、プロテスタントではなくカトリックと正教です。
以降毎年クリスマスには敬意を表して、最寄りのカトリック教会のミサに参加するようにしています。

このたび聖書を買い換えたのは、新しい出発を見越して新共同訳が必要と判断したからです。
統一原理(成約のみ言葉)は、創始者夫婦が語る自己完結した理論ではありません。
いくらアボジが「全て成した!」と語られたところで、成されてないものは成されていないのです。

私の後半生の目標は、聖書だけを用いて伝道できるようになることです。
クリスチャン伝道をしたいからではありません。
日本人はもとより、聖書的価値観を受け入れる武士道という素地があります。
統一原理を受容させるには、武士道と聖書で土壌を耕すことが最善という結論です。


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我こそが真の母をお支えすると自負する兄弟姉妹へ

家庭連合に残る食口の心の拠り所は、「それでも私たちが真の父母様に従っている」という一点にあります。

二代王にどれだけ正当性があろうと、顯進様の平和運動にどれだけ大義があろうと、真の母に背くという一点でその価値はゼロになる。
対して私たち(家庭連合)は、反社会団体と蔑まれたとしても、真の母に従うという一点で天宙的価値があるのだ・・・

私は腐っても現役食口ですから、真の母を「バビロンの淫婦」などと貶めたりはしません。
それどころか、聖和後オモニが出された方針を、「最重要課題」と信じて実践しています。

聖和後のオモニの最重要方針(と私は考える)は二つあります。
・水増し報告の文化をやめて、草創期の愛ある教会に回帰しよう。
・係争中の裁判を全てやめなさい。

オモニが独生女を巡ってどれだけ不思議な発言をされたとしても、私はこの二つの方針故に、オモニを信じることができます。
逆に言えば分派問題がこれだけ迷宮入りしてしまったのは、大本営がこの指示を100%無視しているからに他なりません。

「私たちこそ真のお母様をお支えする正統派である」と自負する祝福家庭の皆さん!
いまこそ分派に責任転嫁するのをやめて、聖和後自分が何をしてきたのか振り返ってみて下さい。

水増し報告の文化はなくなりましたか?
草創期の愛ある教会に回帰していますか?
裁判をやめなさいというオモニの指示に従っていますか?

孝情天苑はオモニの指示です。
しかしそれは目的達成の手段でしかありません。
先祖解怨を何千代まで延長するとしても、愛が成長しないならそれは無意味です。

1万人大会はオモニの指示です。
しかしそれは愛ある教会に回帰した結果であって、まずは「行きたい教会」を再建するところから始めるのが筋ではないでしょうか。

「お母様を最後までお支えしたい!」という情熱は、正しい方向に振り分けられるべきです。
かたちだけ従ったふりをすることが本当の親孝行とはならないことを、アボジの聖和のときに学習したはずです。
手段としての先祖解怨や、帳尻合わせの大会動員は、聖和の時点で後悔でしかありませんでした。

かたちだけ従うことを強要する人たちは、真の母を利用して偽りの希望を掲げます。
神様は偽りの希望を実現するために、祝福家庭を召命したのではありません。
混乱の先の未来を見据えて、統一家を再建する義務があるのです。


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プロフィール

善きサマリア人

Author:善きサマリア人
家庭連合現役信者です。
依存信仰からの脱却の勧め・聖書研究・家庭礼拝・ときどき社会情勢やつぶやきなど。

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